2011年5月2日月曜日

ダン・ヒックスしか聴くべき音楽は無いんじゃないかとさえ思うぐらいダン・ヒックスが好きだ

 震災以前は、僕はそれほど熱心なダン・ヒックスのファンではなかった。持っていたのは"Striking It Rich"と"It Happened One Bite"の2枚だけで、それもCDだった。10代の頃に愛聴していたトーマス・ドルビーの"The Flat Earth"というアルバムに入っていた"I Scare Myself"が好きで、当時ピーター・バラカンがラジオで「これがオリジナルです」と言ってかけたダン・ヒックスのバージョンがずっと忘れられず、CDを手元に置いていたのだった。

喫茶店をやるようになってから、「喫茶店で流れる音楽」についてあれこれ考え、試してみた。始める前は気を利かせてバルトークとかミヨーのピアノ曲がいいだろうなんて思っていたのだけど、実際かけてみると、気が利き過ぎていた。レナード・コーエンやポール・サイモンは素晴らしくはまった。オシャレに流れ過ぎず、媚びもしないところが良い。飛躍するようだがポーツマス・シンフォニアやシャッグス、アジアの民間ブラスバンドを集めた"Frozen Brass"などの音楽に含まれるある種の愚鈍さも、僕らが目指す喫茶店らしいムードに加担してくれることが分かった。

そんな中でも、ダン・ヒックスは正に喫茶店のための音楽と言っても過言ではないほどに、本儀先生とあゆ子がセットしてくれたBOSEスピーカーから、自宅でかける時の数十倍は生き生きと鳴ったのである。そうして聴き込んでいるうちに、これまでは「"I Scare Myself"とそれ以外の曲」程度の浅い認識だったダン・ヒックスの世界が、もしかしたら宝の山なんじゃないかと思うようになっていった。それで次に入手した初期のライヴ盤"Where's The Money?"で、思いは確信へと変わった。全ての楽曲が、演奏が、恐ろしいほどの神聖な光輝に包まれている。"News From Up The Street"や"Moody Richard"、"Reelin' Down"といった曲を聴いていると、ダン・ヒックスはもしかしたら神なんじゃないかとさえ思うようになっていった。そうこうしているうちに震災が起きた。

震災後は4月に営業を再開するまで、CDを買える状況でもなかったし、あまりダン・ヒックスの事も考えていなかったのだけど、4月7日の大きな余震のあと、店の状態が心配になって行ってみたら、厨房に散乱したCDの中に、落下したポットの水を浴びて悲惨な体になってしまった"Striking It Rich"を発見した。「これは、買い直さなきゃならないなあ」と思ったのと同時に、ついでに他の作品も聴いてみようと、コレクションに抜けている初期作品"Original Recordings"や"Last Train To Hicksville"なども購入してみた。これらもまた、当然のように傑作だった。

YoutubeでDan Hicksを検索すると、無数の動画を見ることができる。中でも僕の目を引いたのが、長いブランクのあとにAcoustic Warriorsを率いて復帰した1990年の"Shootin' Straight"であった。もちろん70年代・全盛期の動画も素晴らしいとは思ったが、すっかり年を取って声も酒ヤケしたような、シド・ペイジもリケッツも居ないこの演奏には、心が震えるほどの感動をおぼえた。ダン・ヒックスの佇まい。色眼鏡。"where you are〜"と歌う時の情けない声のうわずり。バック・ミュージシャンたちの嬉しそうな表情。「俺は正直にやるぜ」というようなニュアンスではないかと思われる歌詞。のっぺりした印象のヴァースから一転して、弾むような明るさをもつサビの暖かみ。"Shootin' Straight"は、すっかり僕を魅了してしまった。

そういうわけで90年代以降のダン・ヒックスについてもいろいろ調べてみたら、どうやら無数に作品をリリースしているということが分かった。しかもそのほとんどをホット・リックス名義で。もっと調べてみたら、我が"Shootin' Straight"は1994年にリリースされた復活第一弾のアルバムに収められているものの、これはライヴ盤で、この曲は現在まで、スタジオ録音盤では発表されていないことも分かった。60〜70年代の作品は全て聴いた。ここまで来たら、復帰後もちゃんと聴くべきではないだろうか。





気がついたら、手元には全ての(本人名義の作品ということだが)ダン・ヒックスのアルバムが揃ってしまっていた。新旧の共演者が一同に会してダンの60才の誕生日を祝ったライヴのDVDや、"Early Muses" "The Most Of Dan Hicks & His Hot Licks" "Live"などの発掘音源集までも。復帰後の作品に関して言えば、今もなお大のお気に入りであるライヴ盤"Shootin' Straight"や、2009年作の"Tangled Tales"などは、初期作品と同等か、あるいはそれらを凌ぐ充実した傑作ではないかと思う。

ちなみに、最後に購入したのは2010年の最新作"Crazy For Christmas"だ。僕は昔からクリスマス・ソングというのが苦手で、クリスマスの時期にこぞってリリースされる企画盤にはいつも辟易しているほどなので、いかなダン・ヒックスとはいえ多少の抵抗を感じてはいたのだが、果たして再生してみると1曲目の"Christmas Mornin'"の音が鳴り出した瞬間、それが杞憂であったことがすぐに分かった。音質という点で言えば、このアルバムはひょっとすると最高の出来映えかもしれない。まったく、底知れない才能の持ち主というほかない。


5月に入った今も、僕らの店では思い出したようにダン・ヒックスが流れている。あまりダン・ヒックスばかりかけるのも変だから、たまに他のものもかけるのだが、気がつくと...いつの間にか...またダン・ヒックスが流れている。僕がかけなくても、ナツがかけていることもある。ふだん、お客さんからBGMについて触れられることはほとんどと言って良いほどないのだが、先日、ついに「店のBGMがダン・ヒックスって」とブログに書いて下さった方が居て、僕は本当に嬉しかった。