2010年12月30日木曜日

冬のヒング

 スパイスが届いてからというもの、毎日カレー作りに明け暮れている。
1日目はキャベツのムング・ダル・クートゥと大根のサンバルと黒ごまのチャトニ、2日目はかぼちゃのチャナ・ダル・クートゥとインギ・プリ、3日目はパラク・ダルとトマト・パプと黒ごまのチャトニ。一度に6〜8人分を作るので、2人で毎食食べても食べ切れない。昨夜は朝倉とあゆ子に来てもらって随分助かった。カレーは概ね好評だったものの、yumboメンバーの通過儀礼としてあゆ子にヒングの臭いを嗅がせて顰蹙を買ったり、自分でさえ引くほどに激辛となったインギ・プリの最後の1杯分を小野君へのお土産として持たせたりしてしまった。
 物販用の現実バッジで遊んでいる様子。

一昨日だったか、深夜のテレビで偶然始まった映画「ニューヨークの恋人」を観る。「ナイト&デイ」がヒットしたのでマンゴールドの旧作が放映されたのだと思う。タイムスリップものは好きだし、見始めた映画は最後まで観る方針なので、3時まで起きて頑張って観た。 初めて見たリーブ・シュレイバーという役者がいい味を出していて、彼が演じたスチュアートという男の「僕は虹を見た犬なんだよ」という終盤の台詞が良かっただけに、彼の扱いがぞんざいだったのが惜しい。やっぱりタイムスリップものの最高峰は「レイト・フォー・ディナー」なのか。
おやつ映画を観た反動で、生涯で出会った中で最高の映画の1本である「エンジェル・アット・マイ・テーブル」を見返す。やはり何度観ても、思わず拍手したくなるほど素晴らしい。ジェーン・カンピオンは決して天才とか名監督の部類に入る人ではないと思うけど、この映画があるなら他にどんな駄作を撮っていたって構わない。DVDを買ったのは随分前なのに、特典映像(未公開シーンとメイキング)に今更気付いて、それも興奮して観る。少女時代のなわとびのエピソードはカットすべきではなかった。

2010年12月26日日曜日

冬のミンティア

上野大津屋にまとめて注文してあったスパイスやダルなど全22品目が届き、 喜び勇んでガラス容器を買い揃えて袋から詰め替える。何年も前に関さんの家でスパイスをガラス容器で保管しているのを見てから、ずっと真似したいと思っていたのだ。梅田町に居た頃は南インドカレーをよく作ったが、しばらくブランクがあり、放置してしまったスパイスもダルも著しく鮮度が落ちて惨憺たる有様になってしまったので、引っ越しの際に廃棄したきりだったから、こうしてまとまった種類と量のスパイスが手元にあるというだけで、いやがおうにもテンションが上がる。今日は手始めに黒ごまのチャトニを作ってみた。テンパリングの油を初めてギーで試してみたら、チャナ・ダルやウラド・ダルの香ばしい香りや、久々に嗅ぐヒングの馥郁たるボロ雑巾の香りに、独特のまろやかな油脂の香りが相俟って、調理中にもかかわらず昇天しそうになってしまった。
 今週頭に、ふと思い立って小栗康平の「眠る男」を観た。何年か前に「伽倻子のために」目当てで購入したボックスに収められているのを分かっていながら、観る気が起きなくてずっと放置していたものである。その日行ったEBeansの古書市で、この「眠る男」の企画から完成までのいきさつをまとめた本を見かけて、パラパラと立ち読みしたところ、映画の企画そのものが群馬県の村おこし的な製作意図によるものだったことを今更知った。本に掲載されていた、完成後の県民たちの反応があまりに冷淡なものだったので、むしろ興味を惹かれて「じゃあ自分で観て確かめてみよう」と思ったのだけど、案の定、カウリスマキとアンゲロプロスの中間の小径を虫が這うような映画で、僕は面白く観たが、これほど死のイメージが横溢する映画が「県の製作した映画ですよ」と言われれば、確かに多くの人は困惑するかもしれない。そういう顛末も含めて、小栗康平らしいといえばらしい。終盤の竜巻のシーンが見事で、夢に出てきそうだった。

来年から始める仕事の準備のため、渡辺玲の「カレーな薬膳」を再読したくて図書館へ行ったついでに、音響ライブラリで何か無いかと物色した末、ティム・バートンの「エド・ウッド」とソクーロフの「マリア」という、まるでちぐはぐな2本を借りてしまった。「エド・ウッド」は大して期待していなかったけど、おやつ映画と呼ぶには名演・名場面が盛り込まれた美しい力作だった。僕が観たなかではバートンの最高傑作だと思うし、なおかつ、いまひとつピンと来ない俳優の一人であったジョニー・デップの、「ギルバート・グレイプ」に並ぶ好きな作品となった。あと、「インディアン・ランナー」でも愛らしく好演していたパトリシア・アークエットのキャスティングが嬉しい。中でもおばけ屋敷のデップとアークエットの場面はモノクロであることを最大限に生かしたファンタジックな画作りで、あれは非常に秀逸なアイディアだった。

一方の「マリア」は、40分と短い作品ながら、ずっしりと重い錨を心に沈められたような佳品だった。まずオープニングの、大きなガラス瓶から水を美味そうに飲む農婦マリアの笑顔に圧倒される。マリアの死によって分断された9年後の後半における、長い長い一本道をえんえんと映し続ける憂鬱な旅のシーンは、長く付き合った大切な友人が、知らぬ間に鬱病に罹って苦しんでいたことを知った、昨日の深夜の気持ちを予兆させるものだったのかもしれない、などと今になって思う。意を決して友人のブログを読もうと決意した時、ひょっこり彼からメールが来て、娘さんが「わたしたちの勝利」や「これが現実だ」を聴くと笑って踊ります、と書いてくれて、もう何もいらないと思うぐらい嬉しかった。彼にしか伝わらないと思うけど、そういうわけで今日のチャトニは格別に感慨深い味だったのである。

窓の外は、今朝にはすっかり雪景色となった。内装業者との打ち合わせのために自転車に乗って、雪のちらつく街を走ると、出掛けに口に含んだミンティアのせいで口の中がシベリアのように冷たくなった。そういえばRCサクセションに「窓の外は雪」という名曲があって、シングルのB面だったその曲をとても好きだった10代の頃に、ドイツで録音した時のPhewみたいな音でカヴァーしたのを思い出したりした。
 アルゼンチン出身のRocco Negriの版画の絵本。馬に乗ってショファーを吹いている!

2010年12月19日日曜日

東京、北野、岸野、ドーリスと大道あや

大阪から帰って翌朝、今度は東京へ。高速バスで5時間半だが、大阪へ行ったばかりなので随分近く感じる。西荻の春名知惠子さん個展会場・ギャラリーMADOへ。知惠子さんに会うのはいつ振りだろう。マヘルか何かで上京した時だったろうか。古い洋館を利用したギャラリーには、変わらず心を惹き付けられる作品たちと、知惠子さんが居た。来年僕らがやろうとしているお店に是非置きたいと思い、作品を2点購入する。お土産で持参した「たまにわ」や「これが現実だ」を渡すと、知惠子さんは自分の作品展そっちのけで、僕らの作品についてあれこれ質問したり、感想を言ってくれるので恐縮しつつも、有り難く思う。夜になって仕事帰りの周作さんも来て、4人で撤収作業。会場前で記念写真を撮ってから、西荻の春名邸で夕食を頂きつつ、映画の話、探している本の話などして過ごす。リラクシン。
翌日は昼に渋谷のYouthへ斉藤さんを訪ねる。特典CDRの「Into The Wild e.p.」を見せてもらったが、いい感じの盤面に仕上がっており嬉しい。来年のレコ発ツアーの話など。新宿でナツ、福ちゃんと合流し、バス乗り場の近くの店で800円以上もするハンバーガーを食べた。

仙台に戻ると雪がチラチラ降っていて、すっかり冬の空気だ。もう一度「南極料理人」を観たいと思いTSUTAYAに行ったら、「アウトレイジ」が出ていたので一緒に借りる。椎名桔平、加瀬亮、三浦友和など、役者が見事にはまっている。あの人間の撮り方は、北野もきっとカサヴェテスを研究したのに違いないと思わせる。小日向のマルボーの役回りや、雪崩のように暴力が連鎖していく感じはヤクザ映画の伝統を丹念に踏襲しているが、いつもの笑いの感覚も決して忘れていない。少なくとも「HANA-BI」や「菊次郎の夏」のような押し付けがましいアート臭さが皆無なので素直な気持ちで観られる作品だと思う。
昨日、戸田君と濱田さんが来宅し、「これが現実だ」「Bricolage」などをお渡しする。戸田君にドーリスの1stを譲ってもらう。濱田さんの新バンド「ケ・セラ・セラ」(そういえば僕が命名した)に女性ヴォーカルを加入させるかどうか、仮に加入させるとしたらそれは日本人か外国人かで喧々諤々となる。僕は「大きい外国人を入れるといいと思う」と提案した。

夕方にギャルソンで森君と落ち合い、大阪の物販の清算、および仙台でのレコ発の打ち合わせをする。ワンマンにするか対バンを入れるかで悩むが、最終的には、これ以外無いというぐらいばっちりハマった対バンを思いつき、2人でほくそ笑んで別れた。うまく話がまとまるといいなあ。対バンといえば、計画中のレコ発ツアーの方でも「希望する対バンは居ないか」と斉藤さんから訊かれていたが、今日の昼間にYoutubeでWatts Towersを観ていて、岸野雄一と宮崎さんのデュオ(この形態は一度スターパインズで観たことがあり、素晴らしかった)なんかいいなあと思った。岸野雄一の歌やパフォーマンスには文字通りの笑いとペーソスが力強く盛り込まれている。世界の何処に、ふぐの学校とか、兎の暖かさなどについて、あんなに素敵に歌える人が居るだろうか。
夜、戸田君に譲ってもらったドーリスのLPを聴きながら、大道あやの「へくそ花も花盛り」を眺める。「へくそ花」は文庫版しか持っていなかったが、最近、ようやくオリジナルの函入りを手に入れた。こちらは豪華画集が付いており、見たことのない絵もいくつか載っている。ドーリスのダダっぽい奔放で苛烈な音楽と、事物の核心を突きまくる素朴な大道の絵は一見水と油のようだが、どちらも同じように、とびぬけて美しい世界を形成している。

2010年12月17日金曜日

OSAKA PICTURE

8日の早朝5時台に家を出て、約12時間かけて心斎橋ウイングフィールドへ。音楽系の人間は会場を「ハコ」と呼ぶが、芝居の人間は「コヤ」と呼ぶ。我々は今回出演者・スタッフ合わせて総勢14名の大所帯だが、うち男性陣は全員会場で寝泊まりする(小屋泊と言う。会場での打ち上げは小屋打ち)。会場で寝泊まりということは舞台や客席に寝袋で雑魚寝するわけで、ひっそりした真夜中の芝居小屋で横になっている時の侘しさは、市川森一の名作ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」を想起させていたく気に入ってしまった。

初日の夜はみんな飲みに行くなどして出払っており、風邪で大事を取るのに小屋で留守番をしていた本儀さんと一緒に映画「南極料理人」のDVDを観 た。堺雅人、きたろう、生瀬勝久、高良健吾、豊原功補など、役者が皆いい顔をしている。演出は控え目な笑いに貫かれており、役者の存在感と、広角を多用し た明快な画調で親しみが持てる作りだ。人に勧められて映画を観るなんて滅多に無いことだけど、食わず嫌いは損をするなと実感した夜だった。

翌9日から仕込みが始まる。黒幕を吊ったり照明や音響、舞台のセッティングをするわけだが、yumbo組は仕込みの間は昼夜の炊き出し班として活躍させてもらった。yumboは全員料理が好きなので、キャンプにでも来たかのように嬉々として料理する。僕は久しぶりに南インドカレー(マッシュポテトの奴)を作ったけど、ブランクのあるせいで腕が鈍ったか、ししとうの入れ過ぎで苦みが出てしまったり、持って行ったターメリックの鮮度が落ちていて発色が悪かったりと若干問題があったが、森君に喜んでもらえたので充分だった。
また、公演初日である10日の午前中に出来たての「これが現実だ」が段ボールで100枚、7e.p.から届けられた。漸く現物を手にして、感慨に浸る。「小さな穴」から「明滅と反響」はそうでもなかったけど、このアルバムに至るまではなかなかの苦難の道のりだったなあと思い返す。サポートしてくれた大勢の皆さん、本当にありがとう。

ライヴの場合と違って、芝居の事前のチェックや準備は実に入念である。音響のレベルチェックや照明のシュート、出はけや転換などのきっかけの確認を 細かく行なう場当たり、更に全体の流れに沿って音響・照明を同時に確認していくテクニカル・リハなどというものがあるのに、そのうえゲネプロまでする。そ して開場直前に暗転チェックをして、客入れ、本番となるわけで、なにもそんなに...と思うぐらい念入りに確認や練習を繰り返すわけだが、演劇は音楽のラ イヴよりも段取りがしっかりしているし、映画のように編集や撮り直しも出来ないその場限りの勝負だから、この準備や確認が非常に大きな意味を持つことにな る。緻密に練られたタイムテーブルに従ってこうした演劇の準備や確認に身を投じていると、ふだん我々yumboがいかに生温い世界に生きているかが分かる というものだ...というのは大袈裟かもしれないけど、実際、スタッフの機敏な動きや、無駄のない時間の遣い方、判断の素早さなどを見ていると、なかなか これは真似できないと思う。
今回の大阪公演は10日から12日の3日間で、マチネ2回、ソワレ2回の計4回を行なった。それと連日の打ち上げ、飲み。ふだん酒を飲まず、自分から進んでは居酒屋などに行かない僕にとっては、このツアーで一年分ぐらいの飲み会に参加したような感覚があったが、生田さんによると、そういう場に来ていた方々の多くはA級Missing Link、桃園会、空の駅、遊撃隊、エイチエムピー・シアターカンパニーといった大阪およびその周辺の名だたる劇団の主宰者や役者さんだそうで、演劇の事を何も知らない僕のような者には勿体ない場だったのだなと後になって思ったりした。ちょっとした所作や言動から、皆さんの底知れないエネルギーやアウラを存分に受けた毎日であった(画像は、三角フラスコの小濱君と、2008年の『チヨコレイト』でお世話になったS-paceのセッキン)。
13日にまた12時間かけて仙台に戻り、どしゃ降りのなか荷物を降ろして帰宅。猫たちは火星の庭の前野さんに定期的に見てもらっていたので、2匹とも荒れることなく留守番していた。しかし間髪を入れず翌日から2日間の東京行きを控えていたのだが。

2010年12月7日火曜日

twitter

「twitterやろうかなあ」と思う、という夢を見たが、目が覚めてみるとそういう気持ちではなかった。なぜやりたいと思ったのか、夢の中では筋の通った動機があった筈なんだけど、さっぱり思い出せない。そもそも、あんな面倒臭いもの、僕に出来るわけがない。人のは読むけど(内海桂子師匠のとか)、自分で自分の情報をリアルタイムで発信するマメさも欲求も無い。それ以前に、携帯電話を持っていない時点でアウトだ。携帯も同じで、人と連絡を取るのに生じる時差を出来るだけ短くする道具なわけだが、これも今のところ必要性を感じない。持っていたとしても僕の携帯になんて誰も電話しないだろうな。
カサヴェテスの「フェイシズ」は、全編鳥肌が立つほど面白かった。恐らくカサヴェテスから最も縁遠い人種だったであろう、中流階級のビジネスマンの男たちと、その妻たちのやけっぱちな彷徨を描いている。各シーンは「アメリカの影」に輪をかけて冗漫で、惰性的にダラダラ撮っているように見えるが、見終わってみると不必要なシーンが一つも無かった事に気付いて愕然とする。ジョン・マーレイとジーナ・ローランズのエピは全くもって「なんだこりゃ」と言いたくなるほどになしくずし的な展開だが、リン・カーリンを筆頭とする「妻たち」とシーモア・カッセルのエピが対照に置かれた途端、すべてが不気味に整合性を伴って成立していく。カッセル演じるアホみたいな青年チェットを巡る奥様方の丁々発止は、ヘタなアクション映画よりも手に汗握るスリルに満ちており、一連のシーンにおけるすべての役者の演技が眩いほどに画面を彩っている。ハリウッドメジャーから振られた2作を監督したものの煮え湯を飲まされるような経験をした後に、家を抵当に入れてまで執念で撮っただけあって、凡百の映画には到底追いつけない情熱が、この映画をとんでもない地点にまで押し上げている。ああ、「ハズバンズ」、どうにかして観たい...。「カリフォルニア・ドールズ」「グレイ・ガーデンズ」共々、いま一番日本でDVDを発売してほしい作品だなあ。

明日の早朝はいよいよ、大阪へ出発だ。公演直前になって、「Bricolage」が出来上がったり、「これが現実だ」の先行発売も決まったりで、急に忙しくなってきた。芝居の内容も、面白いマイナーチェンジが施されているし、また新たな気持ちで臨めそうだ。心配なのは自分のMCと、ポスト・パフォーマンス・トークかな。

2010年12月4日土曜日

Bricolage

昨夜の稽古の時に本儀さんからマルチをミックスした音源を追加で頂戴し、再編集の末、アルバム「これが現実だ」のバックヤード音源集「Bricolage」が、アルバムより一足早く出来上がった。収録曲36曲の内訳は、3rd収録曲が9曲、2nd以前の既発表曲が7曲、残りの20曲が未発表曲や新曲、あるいは会場配布盤などにしか入っていなかった曲である。これまでにも1st「小さな穴」に対応した「The Black Lodge Transition」、2nd「明滅と反響」に対応した「vespid collection」という編集盤を出していて、もはや恒例のようになっているが、今回のは一番ライヴ度が高い。もちろん3rd収録曲のデモ音源は沢山あって、全て丹念に聴き返してみたけど、改めて人に聴いてもらいたくなるような出来のものは全然無かったのだ。その代わり、ライヴでメンバーによって演奏されたバージョンには面白いものが多かったし、アルバムからオミットされた楽曲も勿体ないということで、このような構成になった。自分の好きなバンドがこうした寄せ集めの編集盤を出すなら、きっと嬉しいだろうなと思えるような内容だと思う。そういえばStaubgoldは今度、Flying Lizardsの未発表音源をシングルで出すらしいので、楽しみだ。

それで今日は一日中、ジャケットとか附属のブックレットの版下のコピー、割付、切り貼り、ホチキス留め、裁断...といったアナログな作業に明け暮れた。僕は16才の頃から何年か、コピーを綴じたミニコミを作っていたので、こういう作業は大好きだ。文字を組んで、レイアウトして、プリントして、ブックレットの体裁になっていくさまは快感の一語に尽きる。いまだにイラストレーターの使い方がよく分かってなかったり、ちゃんとした印刷やプレスCDの発注の仕方も分かってないのはどうかと思うけど。そしてメディアはCDなんかより、ソノシートで出したい派だし...もう生産してないか。
もうすぐ大阪公演が始まるので、猫の様子を誰かに見に来てもらわなければならない。

2010年12月2日木曜日

カサヴェテスを簡単に観てはいけない

ついに仕事を辞めた。最後はとてもあっけなくて、会社の建物から外に出たら、心許ないような、嬉しいような、複雑な気分に取り巻かれた。来年からは新しい仕事が始まる。

「ER」の第14シーズンを観た。アメリカでは既にファイナルの第15シーズンの放映がとっくに終わっているが、DVDがレンタル屋に並ぶのはまだ先の話だろう。第1シーズンから律儀にレンタルで見続けてきたが、この14シーズンは全19話とこれまでで一番短く、エピソードの流れも比較的あっさりしている。ルカの不在がストレスとなり静かに崩壊していくアビーのストーリーを中心に、プラットの一進一退の色恋沙汰、新入りドクターに幻惑されるドゥベンコ、脚本家たちの戦略によって無駄に好感度を上げ続けるモリス、サムとトニーの急接近、などが散りばめられているが、実は本シーズン最大の見所は、ニーラが面倒を見るインターンのハロルドだろう。最初に登場したエピソードでは見るに耐えないと思ったが、回を追うごとにハロルドの言動がツボに入り、最終的にはハロルドが何か言うたびに爆笑するまでになっていた。ナポレオン・ダイナマイトに通じるキャラクター。吹替の声優も非常にうまいと思う。

片思いのようなカサヴェテス熱は依然として続いている。というか、ほとんどの情報がいとも簡単に手に入ってしまうこの時代に、こうも満足に作品を観られないというのがまた、たまらんものがある。手元には「ジョン・カサヴェテスは語る」「カサヴェテス2000 劇場用パンフレット」「Switch別冊 映画監督ジョン・カサヴェテス特集」というカサヴェテス関連の書籍(どれもナツが買ったもの)がかき集められ、とっかえひっかえ読んでは、日本ではDVD化されていない「ハズバンズ」に思いを馳せたり、「ミニー&モスコウィッツ」のスチールを見ただけで泣けてきそうになったりして、自分でも異常だと思う。とにかく、イーストウッドやコーエン兄弟やリンチのようには、簡単にコンプリートで観ることはできないジレンマに直面している。

今では僕もご多分に漏れずインターネットの恩恵に与っているわけだが、今回の「カサヴェテスが観たいのにちゃんと観られないジレンマ」は、ネットの無かったかつての日々を懐かしく思い出させてくれる、心地よいジレンマでもある。16才の頃、札幌の南3条の雑居ビルにあったミニシアター「イメージ・ガレリオ」に足繁く通い、画像の粗いチラシを見て「どれを観るか」で胸を躍らせたのを思い出す。どれも面白そうだし、今風に言えば「ヤバそう」なんだけど、母子家庭の高校生のお小遣いには限界があり、自分の嗅覚だけで厳選した映画しか観られなかった。いろいろ観たけど、中でもメカスの「営倉」、松井良彦の「追悼のざわめき」などは強烈な印象(というか爪痕)が心に残っている。もちろん、チラシの限られた情報だけで選ぶから、失敗も多く経験したけど、それも今思えば貴重な体験をさせて貰ったと思っている。あのコンクリート臭いみすぼらしいビルの階段をワクワクしながら上がっていった気分は、忘れられない。

数年後に札幌で半年間一人暮らしをした時期は、毎日のようにレンタルビデオ屋に通って、正に映画漬けの日々だった。毎日通っていた平岸のレンタル屋で観たいものを借り尽くしてしまったように思えて、休みの日に地下鉄で適当な駅で降りてレンタル屋を探し、ビデオを漁ったりもした。何処の駅近くだったか忘れたが、ケネス・アンガーの「マジック・ランタン・サイクル」というVHS2巻組の作品集を置いている店があって、何も考えずに借りたはいいけど、帰りの地下鉄代が無くなってしまった。しかも僕は極端な方向音痴で、自分がいま居る場所と、自宅のある平岸との位置関係がまるで分からない。しょうがないので、小脇にケネス・アンガーのビデオを抱えて、煙草を吸いながら(当時は今より路上喫煙に対して世間が寛容だった)、勘だけで自宅まで歩いた。どうやって帰り着いたのか全く憶えていないが、2時間ぐらいはかかったと思う。帰宅すると膝がガクガクになっていて、喉もカラカラだった。ひとまずコーヒーを入れて一服してから、「スコピオ・ライジング」を観た。あの時の解放感、充実感もまた、忘れられない。

今日はようやくメディアテークの音響ライブラリで「アメリカの影」と「フェイシズ」を借りてきて、手始めに「アメリカの影」を観た。この映画を、あの10代の頃にガレリオで観ていたら、さぞかし甘美な思い出となったことだろう。間違いなく、映画館の暗闇の中で、スクリーンで観るべき作品であった。それを不覚にも、自宅の小さなブラウン管テレビで、猫を膝に抱きつつ炬燵に入って観てしまった。あの随所のジャンプカットの寒い快感や、役者の即興から醸し出される絶妙な緊張感、えも言われぬいかがわしさがスクリーンに投影される様は、きっととんでもなく美しいに違いない。カサヴェテスの映画はきっと、簡単に・不用意にビデオやDVD、ネットなどで観てしまってはいけないのだ。1本1本、辛抱強く、東京などの単館で特集されるのを待ちながら、ジワジワと何年もかけて観ていくのが正しいのだろう。その情報も、ネットなどで調べているようではダメだ。映画好きの東京の友達(この場合、札幌のガレリオの思い出を共有する唯一の友達である小柳さんが適役)から突然電話が来て「来週、中野でカサヴェテス特集やるよ!」と教えてもらうのが最高だ。







ドイツのStaubgoldから、フライング・リザーズの"The Secret Dub Life of the Flying Lizards"が2曲カットされてLP化された。ジャケがオリジナル・デザインということもあって迷わず購入。何気なくこういうレコードを仕入れている15NOVは懐が深い店だ。