2010年12月17日金曜日

OSAKA PICTURE

8日の早朝5時台に家を出て、約12時間かけて心斎橋ウイングフィールドへ。音楽系の人間は会場を「ハコ」と呼ぶが、芝居の人間は「コヤ」と呼ぶ。我々は今回出演者・スタッフ合わせて総勢14名の大所帯だが、うち男性陣は全員会場で寝泊まりする(小屋泊と言う。会場での打ち上げは小屋打ち)。会場で寝泊まりということは舞台や客席に寝袋で雑魚寝するわけで、ひっそりした真夜中の芝居小屋で横になっている時の侘しさは、市川森一の名作ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」を想起させていたく気に入ってしまった。

初日の夜はみんな飲みに行くなどして出払っており、風邪で大事を取るのに小屋で留守番をしていた本儀さんと一緒に映画「南極料理人」のDVDを観 た。堺雅人、きたろう、生瀬勝久、高良健吾、豊原功補など、役者が皆いい顔をしている。演出は控え目な笑いに貫かれており、役者の存在感と、広角を多用し た明快な画調で親しみが持てる作りだ。人に勧められて映画を観るなんて滅多に無いことだけど、食わず嫌いは損をするなと実感した夜だった。

翌9日から仕込みが始まる。黒幕を吊ったり照明や音響、舞台のセッティングをするわけだが、yumbo組は仕込みの間は昼夜の炊き出し班として活躍させてもらった。yumboは全員料理が好きなので、キャンプにでも来たかのように嬉々として料理する。僕は久しぶりに南インドカレー(マッシュポテトの奴)を作ったけど、ブランクのあるせいで腕が鈍ったか、ししとうの入れ過ぎで苦みが出てしまったり、持って行ったターメリックの鮮度が落ちていて発色が悪かったりと若干問題があったが、森君に喜んでもらえたので充分だった。
また、公演初日である10日の午前中に出来たての「これが現実だ」が段ボールで100枚、7e.p.から届けられた。漸く現物を手にして、感慨に浸る。「小さな穴」から「明滅と反響」はそうでもなかったけど、このアルバムに至るまではなかなかの苦難の道のりだったなあと思い返す。サポートしてくれた大勢の皆さん、本当にありがとう。

ライヴの場合と違って、芝居の事前のチェックや準備は実に入念である。音響のレベルチェックや照明のシュート、出はけや転換などのきっかけの確認を 細かく行なう場当たり、更に全体の流れに沿って音響・照明を同時に確認していくテクニカル・リハなどというものがあるのに、そのうえゲネプロまでする。そ して開場直前に暗転チェックをして、客入れ、本番となるわけで、なにもそんなに...と思うぐらい念入りに確認や練習を繰り返すわけだが、演劇は音楽のラ イヴよりも段取りがしっかりしているし、映画のように編集や撮り直しも出来ないその場限りの勝負だから、この準備や確認が非常に大きな意味を持つことにな る。緻密に練られたタイムテーブルに従ってこうした演劇の準備や確認に身を投じていると、ふだん我々yumboがいかに生温い世界に生きているかが分かる というものだ...というのは大袈裟かもしれないけど、実際、スタッフの機敏な動きや、無駄のない時間の遣い方、判断の素早さなどを見ていると、なかなか これは真似できないと思う。
今回の大阪公演は10日から12日の3日間で、マチネ2回、ソワレ2回の計4回を行なった。それと連日の打ち上げ、飲み。ふだん酒を飲まず、自分から進んでは居酒屋などに行かない僕にとっては、このツアーで一年分ぐらいの飲み会に参加したような感覚があったが、生田さんによると、そういう場に来ていた方々の多くはA級Missing Link、桃園会、空の駅、遊撃隊、エイチエムピー・シアターカンパニーといった大阪およびその周辺の名だたる劇団の主宰者や役者さんだそうで、演劇の事を何も知らない僕のような者には勿体ない場だったのだなと後になって思ったりした。ちょっとした所作や言動から、皆さんの底知れないエネルギーやアウラを存分に受けた毎日であった(画像は、三角フラスコの小濱君と、2008年の『チヨコレイト』でお世話になったS-paceのセッキン)。
13日にまた12時間かけて仙台に戻り、どしゃ降りのなか荷物を降ろして帰宅。猫たちは火星の庭の前野さんに定期的に見てもらっていたので、2匹とも荒れることなく留守番していた。しかし間髪を入れず翌日から2日間の東京行きを控えていたのだが。

0 件のコメント:

コメントを投稿