2010年12月26日日曜日

冬のミンティア

上野大津屋にまとめて注文してあったスパイスやダルなど全22品目が届き、 喜び勇んでガラス容器を買い揃えて袋から詰め替える。何年も前に関さんの家でスパイスをガラス容器で保管しているのを見てから、ずっと真似したいと思っていたのだ。梅田町に居た頃は南インドカレーをよく作ったが、しばらくブランクがあり、放置してしまったスパイスもダルも著しく鮮度が落ちて惨憺たる有様になってしまったので、引っ越しの際に廃棄したきりだったから、こうしてまとまった種類と量のスパイスが手元にあるというだけで、いやがおうにもテンションが上がる。今日は手始めに黒ごまのチャトニを作ってみた。テンパリングの油を初めてギーで試してみたら、チャナ・ダルやウラド・ダルの香ばしい香りや、久々に嗅ぐヒングの馥郁たるボロ雑巾の香りに、独特のまろやかな油脂の香りが相俟って、調理中にもかかわらず昇天しそうになってしまった。
 今週頭に、ふと思い立って小栗康平の「眠る男」を観た。何年か前に「伽倻子のために」目当てで購入したボックスに収められているのを分かっていながら、観る気が起きなくてずっと放置していたものである。その日行ったEBeansの古書市で、この「眠る男」の企画から完成までのいきさつをまとめた本を見かけて、パラパラと立ち読みしたところ、映画の企画そのものが群馬県の村おこし的な製作意図によるものだったことを今更知った。本に掲載されていた、完成後の県民たちの反応があまりに冷淡なものだったので、むしろ興味を惹かれて「じゃあ自分で観て確かめてみよう」と思ったのだけど、案の定、カウリスマキとアンゲロプロスの中間の小径を虫が這うような映画で、僕は面白く観たが、これほど死のイメージが横溢する映画が「県の製作した映画ですよ」と言われれば、確かに多くの人は困惑するかもしれない。そういう顛末も含めて、小栗康平らしいといえばらしい。終盤の竜巻のシーンが見事で、夢に出てきそうだった。

来年から始める仕事の準備のため、渡辺玲の「カレーな薬膳」を再読したくて図書館へ行ったついでに、音響ライブラリで何か無いかと物色した末、ティム・バートンの「エド・ウッド」とソクーロフの「マリア」という、まるでちぐはぐな2本を借りてしまった。「エド・ウッド」は大して期待していなかったけど、おやつ映画と呼ぶには名演・名場面が盛り込まれた美しい力作だった。僕が観たなかではバートンの最高傑作だと思うし、なおかつ、いまひとつピンと来ない俳優の一人であったジョニー・デップの、「ギルバート・グレイプ」に並ぶ好きな作品となった。あと、「インディアン・ランナー」でも愛らしく好演していたパトリシア・アークエットのキャスティングが嬉しい。中でもおばけ屋敷のデップとアークエットの場面はモノクロであることを最大限に生かしたファンタジックな画作りで、あれは非常に秀逸なアイディアだった。

一方の「マリア」は、40分と短い作品ながら、ずっしりと重い錨を心に沈められたような佳品だった。まずオープニングの、大きなガラス瓶から水を美味そうに飲む農婦マリアの笑顔に圧倒される。マリアの死によって分断された9年後の後半における、長い長い一本道をえんえんと映し続ける憂鬱な旅のシーンは、長く付き合った大切な友人が、知らぬ間に鬱病に罹って苦しんでいたことを知った、昨日の深夜の気持ちを予兆させるものだったのかもしれない、などと今になって思う。意を決して友人のブログを読もうと決意した時、ひょっこり彼からメールが来て、娘さんが「わたしたちの勝利」や「これが現実だ」を聴くと笑って踊ります、と書いてくれて、もう何もいらないと思うぐらい嬉しかった。彼にしか伝わらないと思うけど、そういうわけで今日のチャトニは格別に感慨深い味だったのである。

窓の外は、今朝にはすっかり雪景色となった。内装業者との打ち合わせのために自転車に乗って、雪のちらつく街を走ると、出掛けに口に含んだミンティアのせいで口の中がシベリアのように冷たくなった。そういえばRCサクセションに「窓の外は雪」という名曲があって、シングルのB面だったその曲をとても好きだった10代の頃に、ドイツで録音した時のPhewみたいな音でカヴァーしたのを思い出したりした。
 アルゼンチン出身のRocco Negriの版画の絵本。馬に乗ってショファーを吹いている!

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